2009年7月16日木曜日

逃走の鍵としての「肌触り」

                                          山本 淳
 ピナ・バウシュが亡くなった。今からちょうど10年前、1999年の日本公演の折、方向音痴のぼくは間違った階段を下りたらしく、ドアを開けたとたん人気のないひっそりとした空間に迷い出た。ピナ・バウシュがひとり立っていた。目が合い、思わず会釈をすると、あの黒く飾り気のないドレスを身にまとった彼女は、はにかんだような笑みを浮かべた。幽霊みたいだ、とぼくは思ったものだ。考えてみれば、彼女の舞台も、彼女の存在そのものも、何だか生と死の境界をさまよっているようなところがあったっけ。だから、あまり悲しいという実感がわかない。これからもこんな感覚が続くのだろう。


 ブログを管理してくれているMさんから、ピナ・バウシュについて何か書いてほしいと頼まれたが、雑事に追われてままならない。以前、文学好きの学生が主催する『月蛙』というミニコミ誌から依頼を受けて短文を書いたことがあるので、それを再録することをお許しいただきたい(再録にあたって、一部手を加えた)。


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 今回(1999年5 / 6月)のピナ・バウシュとヴッパータール舞踊団日本公演では、「ヴィクトール(Victor)」と「フェンスタープッツァー(Der Fensterputzer)」をみた。
 ピナ・バウシュの舞台を体験した後にいつも思うことだが、このタンツテアーターという独特の身体言語で展開されるパフォーマンスを、いわゆる「言語」で改めて捉え直すことにいったいどういう意味があるのだろうか。彼女の舞台は常に、いわゆる「言語」による分節化、固定化をすり抜けてしまう。あるいはそこから逃げてしまう。いや、もう少し正確に言えば、「言語」で追いかけていってみると、「言語」で追いかけることの意味それ自体を問われるはめに陥る。
  「ヴィクトール」(1986年初演)は、いわゆる「世界都市シリーズ」の最初の作品であり、「フェンスタープッツァー」(1997年初演)も、それに連なる作品の一つである。これらの作品はいずれも、ピナとダンサーたちがそのつどその町(「ヴィクトール」の場合はローマ、「フェンスタープッツァー」の時は中国への返還を直前にした香港)に何週間か滞在し、その際の観察や経験に基づいて様々な断片的シーンを構成し、それをコラージュすることでできあがっている。当然のことながら作品には、ピナやダンサーたちの町に対する印象、個人的体験、あるいはその町々の具体的な風景が入り込んでいるが、それらは異化された独特な身振り、パフォーマンスへと転換される中で、個人的な経験のレベルを越え、その町や、町に暮らす人々の生活や歴史をも突き抜け、人間と社会、人間と歴史との関係にかかわる、ある種の普遍性へとつながっている。
 上述の(きわめておおざっぱな、しかしたとえもっと綿密に言語化したとしても事情は同じであろうが)説明に欠けているのは、「身体感覚」あるいは「肌触り」である。ピナ・バウシュの舞台をみていると、そこここで、この「肌触り」を体験する。たとえば「ヴィクトール」の中にある「女が人間噴水になって、男がそれで顔や身体を洗う」という印象的な場面。「ヴィクトール」は上でも述べたように、ピナとダンサーたちがローマに滞在したときの体験に基づくさまざまな断片的シーンのコラージュとなっているが、「人間噴水」もその一つである。作品を作り上げる際に、まずダンサーたちへの質問から始めるというピナ・バウシュの作業方法は、すでによく知られているが、このシーンは、ローマ滞在の印象を尋ねられたダンサーのひとり市田京美が、「噴水がおもしろかった」と答えたところから生まれたらしい。きっかけは、そのように他愛もないものだし、シーン自体もちょっとしたギャグのようなものなのだが、これが静まりかえった会場で延々と、ほとんど水攻めの拷問のように続けられるうちに、次第に様相が変化してくる。どう表現したらいいかよくわからないが、私の場合、幼いころ川で溺れかけ、水の音しか聞こえてこない世界で、空気の代わりに水をがぼがぼ吸い込みながら、ほとんど気を失いかけたときのような感覚を思い出した。あるいは体験した。そこには人間と水との直接的な接触の感覚が存在したのだ。

 ピナ・バウシュのパフォーマンスを、モダン・バレエやモダン・ダンスの歴史的文脈の中に、いわゆる「言語」を用いて位置づけることは、それほど難しいことではないだろう。たとえば、教科書的に復習すれば次のようになる。ジョージ・バランシンやマース・カニングハムのモダニズムは、物語性、装飾性を捨て去り人間の身体の幾何学的な運動をつきつめている。(マーサ・グラハムやモーリス・ベジャールはその動きの中でもどこか象徴的なものを抱えているが。)とりわけ70-80年代になって出てきたポスト・モダニズムの動きは、モダニズムがそぎ落としてきた物語性や装飾性等の様々な要素を記号として引用し、カラフルなコラージュをつくってみせる。ピナ・バウシュはその重要な例である。ウィリアム・フォーサイスは、物語的な象徴言語を改めて持ってくるというのではなく、モダニズムの原点である幾何学的抽象にもどった上で、それを内側から突き崩し、多形化することで、さらにその次の次元を切り開こうとする、等々。
 この文脈の中にあって、しかもその文脈に完全に取り込まれることなく、ピナ・バウシュのパフォーマンスを生き延びさせ、あるいはきわだたせているものがあるとしたら、それは上述の「身体感覚」であり「肌触り」である。言い換えれば、「もの」との「直接的な接触の感覚」である。「もの」と書いたが、それは水のような「もの」としての「自然」だけではなく、「もの」としての「社会」「歴史」「言語」ということまで含んでいる。 
 「私に興味があるのは、ひとがどう動くかではなく、何がひとを動かすのか、ということ。」ピナ・バウシュはそう語っているが、コリオグラファーとしての彼女の目は、ひとの動きの根拠を、人間とそれをとりまく「もの」、すなわち「自然」「社会」「歴史」「言語」との相互関係の中に探ろうとしている。そして人間と「もの」との関係を、ある「身体感覚」あるいは「肌触り」を伴った独特の異化的身振りで、パフォーマンスとして観客の前に示すのである。
 すでに書いたように、ピナ・バウシュは作品を作り上げる際、まずダンサーたちへの問いかけから始める。ダンサーたちは自分たちの経験や記憶から何かを引き出し、それを皆の前に示す。ピナがさらに執拗なまでに問いかけを行い、ダンサーたちも相互に観察・分析を繰り返す中で次第に場面ができあがっていく。そこには、人間と、それを取り巻く「もの」としての「自然」「社会」「歴史」「言語」との相互関係が異化され、ある「身体感覚」「肌触り」を伴って立ち現れてくる。そうしてできあがったさまざまなシーンが、観客の前にカラフルにコラージュされるのである。その意味でピナ・バウシュのタンツテアーターは、自己目的的な内面の表出を図る表現主義とは異なる。
 さて、ピナ・バウシュのパフォーマンスをきわだたせているのは「身体感覚」であり「肌触り」であり、「もの」との「直接的な接触の感覚」であると書いたが、むろんそれは、そういった直接的な身体感覚が「言語」の限界を越え、「言語」の抱える問題を解決に導くなどという安易な話にはつながらない。確かに鍵は「身体」であるが、それは「身体」が、「言語」が固定化し、分節化し、制御しようしている対象であると同時に、その「身体」を用いた表現が、それ自身一つの「言語」になるという、その両義性の故である。バレエにせよ、ダンスにせよ、パフォーマンスにせよ、身体を使って何かを表現したり、示したりすることは、すでにそれ自体一つの「言語行為」であり、そしてその「言語」行為が固定化し、分節化し、制御しようとしているのが、その「身体」そのものなのである。
 はじめに、ピナ・バウシュの舞台は、常にいわゆる「言語」による分節化、固定化をすり抜けてしまうと書いたが、それは彼女の「身体表現」も一つの「言語」であることを前提としている。一つの「言語」であるピナ・バウシュの「身体表現」は、当然のことながら「身体」そのものを固定化し、分節化し、制御しようとする。しかし固定化し、分節化し、制御しようとしたその時点で、「身体」は常に動き続け変化し続ける現実の「身体」ではなくなってしまう。動き続け変化し続ける現実の「身体」を舞台上に現象させるには、そういう「言語」による固定化、分節化、制御からすり抜け、逃走しなければならない。(それをハイナー・ミュラーの言葉を借りて「ダンスの逃走線」と言ってもよい。)その鍵となるのが「身体」そのものが持つ「身体感覚」であり、「肌触り」であり、「もの」との「直接的な接触の感覚」なのである。
 ピナ・バウシュのパフォーマンスを「言語」で追いかけていってみると、「言語」で追いかけることの意味それ自体を問われるはめに陥るとも書いたが、それは上述の問題が、実はいわゆる「言語」そのものが抱える問題でもあるからである。自らのパフォーマンスが、一つの言語として「身体」を固定化し、制御しようとするのを徹底的に意識しながら、なおかつ常にそこからのすり抜け、逃走を図る。そして「身体」の生成と変化の過程そのものを舞台上にパフォーマンスとして生じさせ、観客をもその出来事に巻き込む。それがピナ・バウシュの舞台なのだ。


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