2011年1月13日木曜日

第41回天野杯ドイツ語弁論大会


 
 今月4日に35周年記念館2階にて、第41回天野杯ドイツ語弁論大会が開催されました。天野杯は1970年からドイツ語会話研究会によって開催されている伝統ある大会です。本年度は、11大学から35名の学生が本戦に出場しました。獨協大学からは、第1部・D.U.K.杯(暗誦部門)に3名、第2部・獨協大学学長杯(演劇部門)に1組、第3部・天野杯(弁論部門)に1名、計6名が出場しました。各部門ごとに非常に白熱した戦いが繰り広げられ、それに対してゲーテ・インスティトゥート、ドイツ・オーストリア・スイスの各大使館、千葉大学、筑波大学からお招きした6名の審査員の先生方による厳正な審査が行われました。その結果、第2部出場のドイツ語学科1年谷口麗亜さん、喜納緑子さんペアが見事優勝、第3部出場のドイツ語学科4年中誠也さんが3位入賞を果たしました。

谷口麗亜さん、喜納緑子さんコメント
「入賞して一番うれしかったことは、応援して下さったヴェルナ―先生やクラスの子に良い報告が出来たことです。当日は緊張していたのですが、自分たちの発表の間だけは時間がとても短く感じました。また同じテーマでもそれぞれ全然違う劇になっていたので、観客としてもとても楽しめました。」

中誠也さんコメント
「卒業論文の執筆で十分な準備ができなかったことが悔やまれるのですが、今の自分の実力を知ることができました。今後とも引き続きドイツ語との付き合い方の参考にしたいと思います。天野杯主催者と部員の皆さんに感謝しています。」

2010年12月21日火曜日

独日交流会



昨日、12月15日(水)15時~17時までICZ Deutsche Ecke にて
独日交流会を開催しました。

ドイツ語圏からの学生7名を含む約30名の学生が
シュトレンとバウムクーヘンを食べてドイツ語や日本語で交流を図りました。

2010年12月17日金曜日

Tokio Hotel in Tokio!

ドイツ、いえ、ヨーロッパで人気を誇るロック・バンド『Tokio Hotel』が12月12日~16日、日本に初来日しました!

ビルとトムの双子を中心とする4人グループの同バンドは、2005年のデビュー曲「Durch den Monsun(モンスーンを越えて)」で一躍有名に。翌年には、ドイツで最優秀新人賞を受賞、その後イギリスのWorld Music Awardsで多数の賞を受賞するなど、その人気はヨーロッパ中に広がりました。(ちなみにこの「モンスーンを越えて」は彼らのアルバム「Schrei」のなかで日本語でも歌われています。)

その彼らが日本での2月デビューを控え、また日独150周年記念の一環として日本にやってきました。13日はドイツ大使館にて、ドイツ語学習に励む高校生やファンたちを交えた交流会が、15日には完全招待制のライブが赤坂ブリッツにて行われました。 で、行ってきました。13日の交流会♪

大使のシュタンツェル氏は、ドイツのポップ・ミュージックが日本の若者に紹介できることをうれしく思うと語り、ビルは、「東京に来るのを楽しみにしていた」「Tokio Hotelが本当に東京のホテルに泊まっているなんておもしろいよね」と語っていた。

「日本のどこに行きたいですか?」という質問には「渋谷」、「日本で何を食べましたか?」「実はまだイタリアンしか食べてないんだ」、「日本の女の子をどう思いますか?」「かわいい子いるよね」、なんてやりとりではその都度黄色い歓声が。
その後、一人ひとりにサインと握手を、そして全員で記念撮影をしました。

13日のドイツ大使館での記者会見と15日のライブについては、公式ファンクラブのHPにも書かれています。詳しくはこちら
ドイツ大使館のHPはこちら
N.M.

2010年12月11日土曜日

続:ウィーンのクリスマス in 東京

・・・で、実際に行ってきました。日比谷パティオ。

6mのツリー・・・。確かに・・・?

      平日の6時頃だったので、タイミング悪かったのかもしれません。
      人もまばらでした・・・。
      ええと・・・、でも、土日は歌や演奏、ダンスなどの催しがあるそう
      ですので、盛り上がるかもしれません。

      結局、グリューヴァインを飲むでもなく、有楽町方面に。
      たどり着いた有楽町駅前のほうが豪華な雰囲気でした;)

               
         その後友人との待ち合わせのために丸ビルへ
         ここのツリーはさらに豪華でした・・・。

N.M.

2010年12月8日水曜日

ウィーンのクリスマスを東京で!

この冬、ウィーンのクリスマスが東京にやってきます!


期間:2010年12月1日~26日
場所:日比谷パティオ


会場内には高さ6mのツリーが飾られ、オーストリアの音楽家による演奏やダンスといったイベントが催されます。また、ウィーンの高品質ブランドの製品を販売するショールームや、雑貨やホットワインが並べられたクリスマス市など、本場さながらの雰囲気が味わえます。

この冬は日比谷でウィーンを感じてみてはいかがでしょう? 詳しくはこちら

(写真は今年のウィーンのクリスマス市)

N.M.

2010年12月1日水曜日

『ソウル・キッチン』

大人気ファキ・アキン監督の最新作です!

アキン監督は、04年に『愛より強く』でベルリン国際映画祭金熊賞を、07年に『そして、私たちは愛に帰る』でカンヌ国際映画祭最優秀脚本賞と全キリスト協会賞を受賞を、本作でも、09年にヴェネチア国際映画祭審査員特別賞・ヤングシネマ賞をW受賞しています。




出演はアダム・ボウスドウコス、ドイツ映画にはもはや欠かせないモーリッツ・ブライブトロイ、そして『愛より強く』の主人公・ジャイド役でたくさんの映画賞を受賞したビロル・ユーネルです。


◆ストーリー◆
ハンブルクでレストラン”ソウル・キッチン”を経営するジノス。恋人のナディーンが夢を追って上海に行ってしまったり、税務署から滞納していた税金の支払いを迫られたり、衛生局から新しいキッチン設備の導入を命じられたり、食品洗浄機を動かそうとしたら椎間板ヘルニアになったり・・・と、このところ上手くいかないことばかり。
でも、ヘルニアで調理ができなくなったジノスが頑固者の天才シェフを新しく雇うと、彼の料理が評判を呼んで、店は連日大盛況。刑務所から仮出所してきた兄イリアスのかける音楽も加わって、さらに絶好調に!すべてはうまく回り始めた、ハズだった。
しかし、ソウル・キッチンの土地を狙う不動産が現れ、乗っ取りの危機が・・・。
オフィシャルサイトより)



1月22日より、シネマライズほか全国順次ロードショーです!


N.M.

2010年11月28日日曜日

『白いリボン(Das weisse Band』

『ファニーゲーム』や『ピアニスト』のミヒャエル・ハネケ監督によるミステリーです。

第62回カンヌ国際映画祭パルム・ドール、第67回ゴールデングローブ賞外国語映画賞、ドイツ・アカデミー賞10部門受賞など、様々な賞を得ています。


第一次世界大戦直前の北ドイツの小さな村で、不可解な事故が次々と起こります。皆が不信感を募らせるなか、村人たちの素の顔が次第に浮き彫りとなっていきます。
詳しい内容はこちら


12月4日(土)より、銀座テアトルシネマにてロードショーです。


また、これを記念して、12月4日~17日の2週間、ヒューマントラストシネマ有楽町にて映画祭『ミヒャエル・ハネケの軌跡』が開催されます。

詳しい上映スケジュールはこちら   上映作品情報はこちら 

ハネケファンにはたまらない冬になりそうです♪
N.M.

2010年10月21日木曜日

日独交流150周年 オープニング!

1860年秋にプロイセン(現・ドイツ)の東方アジア遠征団が江戸(現・東京)に到着。翌61年に両国は修好通商条約を結び、外交関係を樹立しました。その150周年にあたる2011年に向け、日独両国は様々な記念行事を行なうことで合意、そのオープニングセレモニーが2010年10月16日、東京横浜独逸学園で行なわれました。


会場は、コルネリア・ピーパー独外務国務大臣やフォルカー・シュタンツェル大使、日本の外務副大臣、横浜市長と豪華なゲストにも関わらず、堅苦しくなく終始和やかな雰囲気。様々な展示やスポーツのプログラムを見てまわった一団は、そのまま一般ゲストが行き交うテントの席でビールを飲み、ヴルストを食べていました。



また、当日は見事な晴天で、日差しにあたっていると何もしなくとも汗ばむほど。そうでなくとも美味しいビールがさらに美味しく感じられました。


そして定期的に流れる ♪ ein Prosit~♪ の歌声とPop Musik♪
気づけば、皆さんもよくご存知のお二人が、バンドの前を陣取り、大勢の注目を浴びて踊っていました!そうそう、おなじみのマウスも。子どもたちに大人気でした♪


これから約1年間にわたって、いろいろなところで様々なドイツ関連の行事が催される予定です。沢山足を運んで、ドイツを感じましょう。




日独交流150周年のイベント情報はこちら


N.M

2010年10月1日金曜日

『MON-ZEN』~禅の国・日本へようこそ~

『MON-ZEN』(独題:"Erleuchtung Garantiert")
1999年製作ドイツ映画、108分、ドイツ語(日本語字幕付)監督:ドリス・デリエ

内容:キッチン・セールマンのウーヴェは妻子に逃げられ傷心中。一方、ウーヴェの弟で風水コンサルタントのグスタフは、日本へ禅修行の旅に出る計画をしていた。意気消沈していたウーヴェは酒の勢いで弟の旅に同行することを決めてしまう。目指すは石川県門前町にある禅寺・総持寺。
まずは大都会・東京に降り立った二人だが、迷子になったり無一文になったりで、あっという間にホームレス状態に陥ってしまう――二人にとってまるで異世界である日本は、彼らに何を見せるのか。やがて二人は禅を通して己とも向き合っていく――

『HANAMI』の女流監督、ドリス・デリエがドイツ人中年兄弟日本珍道中をドキュメンタリータッチでコミカル&シリアスに描いた隠れた秀作。外国人が見た俗世の日本、そしてそんな俗世とは対照的な、現役の住職さんや僧侶を通して触れる実際の禅の世界は、私達日本人にとってもどこか新鮮に映るはずです。

★獨協大生は獨協大学図書館の3階でこのDVDを視聴することができます★
(3Fカウンター横にある映像資料の書架を探してみましょう!)

2010年9月30日木曜日

研究休暇2009~2010 ミュンヘンにて。

 研究休暇は日本の大学教員生活におけるクライマックスです。一年間、自由に学術的活動ができるのです。その際に、滞在場所(日本もしくは他国)と研究テーマを自身で選ぶことができます。私は昨年の研究休暇を私にとって新しい音楽学的研究分野に充てることを決めました。詳しく言うと、漂泊の観点からみたドイツロマン派歌曲の研究です。“wandern(放浪する・歩き回る・漂泊する・遍歴する)という言葉は1800年頃“reisen”(旅をする)の同義語として使われましたが、それは徒歩旅行が中心になっていました。すでに昔から、社会的下位集団や周辺集団が徒歩で旅をしていましたが、1770年以降には市民階級や学生の間でも徒歩旅行が流行しました。このような旅行の方法はドイツ社会にしっかりと定着し、文学や芸術や音楽における重要なテーマともなりました。

私の研究は、漂泊の社会史的、文学的議論を取り入れて、ドイツの歌曲における漂泊という現象と取り組み、まとめることになります。その際に、しばしば「さすらいの歌」として表現される楽曲については、シューベルトやメンデルスゾーン・バルトルディやシューマンのようなロマン派の有名な作曲家の作品のみならず、これらの巨匠たちの、今日において多かれ少なかれ忘れられている同時代人たちの作品も考慮されます。あまり知られていない作曲家たちの作品は、今日では楽譜は市場でほとんど手に入らないので、19世紀の印刷や、部分的に手書きによってのみ伝えられている作品を収集するのには公文書館や図書館における大規模な調査が必要不可欠でした。このような図書館作業が伴うので、私は研究地としてミュンヘンを選びました。当地のバイエルン州立図書館は、プロイセン文化財団ベルリン国立図書館と並んで膨大な音楽文献を所蔵しているからです。事実、私はそこで必要不可欠な文献の大部分を探し出すことができました。しかし、不足分を補うためには、ドイツ国内やパリ、ウィーンへのさらなる図書館巡りが必要でした。私の研究のさらなる発展の為にも、文献は研究基盤なのです。したがって、私は手始めに、社会史的観点から漂泊を論ずる中で、1800年頃の旅行報告を引き合いに出します。それに加えて芸術歌曲との比較として民衆的なさすらいの歌を調査に取り入れることになります。この両分野に関してもバイエルン州立図書館はメッセージ豊かな文献を所蔵していますが、これに関しても他の図書館や公文書館の蔵書で補う必要がありました。

 私が客員研究員として招かれていたミュンヘン大学の音楽学研究所が、さらなる研究の場を提供してくれました。そこでもハルムート・シック教授と彼の共同研究者と学生とともに、研究に役立つ活発な学術的な交流ができました。


キルステン・バイスヴェンガー


(訳:T.T)