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2011年12月21日水曜日

Die Maus

さて、先日予告しました獨協埼玉高校同好会によるマウスがついに登場!アドヴェントカレンダーの横にちょこんと置かれた手作りマウスがなんともいえません。





そうそう、理事長サンタもお出迎えしてくれます。是非、見に来てください。



N.M.

2011年12月10日土曜日

アドヴェントカレンダー

今年も残すところあと1ヶ月を切りました。
ドイツでもアドヴェント(待降節:クリスマスのための準備期間)に突入し、クリスマスマーケットもますます本格的になっていることでしょう。

さて、獨協埼玉高校のドイツ語同好会でも、今年はアドヴェントカレンダーを作成!!昇降口に飾っています。



期末テストが終わったら、マウスも登場の予定!
卒業生の皆さん、(もちろんそうでない皆さんも)どうぞ見に来てくださいね。

N.M

2010年12月17日金曜日

Tokio Hotel in Tokio!

ドイツ、いえ、ヨーロッパで人気を誇るロック・バンド『Tokio Hotel』が12月12日~16日、日本に初来日しました!

ビルとトムの双子を中心とする4人グループの同バンドは、2005年のデビュー曲「Durch den Monsun(モンスーンを越えて)」で一躍有名に。翌年には、ドイツで最優秀新人賞を受賞、その後イギリスのWorld Music Awardsで多数の賞を受賞するなど、その人気はヨーロッパ中に広がりました。(ちなみにこの「モンスーンを越えて」は彼らのアルバム「Schrei」のなかで日本語でも歌われています。)

その彼らが日本での2月デビューを控え、また日独150周年記念の一環として日本にやってきました。13日はドイツ大使館にて、ドイツ語学習に励む高校生やファンたちを交えた交流会が、15日には完全招待制のライブが赤坂ブリッツにて行われました。 で、行ってきました。13日の交流会♪

大使のシュタンツェル氏は、ドイツのポップ・ミュージックが日本の若者に紹介できることをうれしく思うと語り、ビルは、「東京に来るのを楽しみにしていた」「Tokio Hotelが本当に東京のホテルに泊まっているなんておもしろいよね」と語っていた。

「日本のどこに行きたいですか?」という質問には「渋谷」、「日本で何を食べましたか?」「実はまだイタリアンしか食べてないんだ」、「日本の女の子をどう思いますか?」「かわいい子いるよね」、なんてやりとりではその都度黄色い歓声が。
その後、一人ひとりにサインと握手を、そして全員で記念撮影をしました。

13日のドイツ大使館での記者会見と15日のライブについては、公式ファンクラブのHPにも書かれています。詳しくはこちら
ドイツ大使館のHPはこちら
N.M.

2010年12月11日土曜日

続:ウィーンのクリスマス in 東京

・・・で、実際に行ってきました。日比谷パティオ。

6mのツリー・・・。確かに・・・?

      平日の6時頃だったので、タイミング悪かったのかもしれません。
      人もまばらでした・・・。
      ええと・・・、でも、土日は歌や演奏、ダンスなどの催しがあるそう
      ですので、盛り上がるかもしれません。

      結局、グリューヴァインを飲むでもなく、有楽町方面に。
      たどり着いた有楽町駅前のほうが豪華な雰囲気でした;)

               
         その後友人との待ち合わせのために丸ビルへ
         ここのツリーはさらに豪華でした・・・。

N.M.

2010年12月8日水曜日

ウィーンのクリスマスを東京で!

この冬、ウィーンのクリスマスが東京にやってきます!


期間:2010年12月1日~26日
場所:日比谷パティオ


会場内には高さ6mのツリーが飾られ、オーストリアの音楽家による演奏やダンスといったイベントが催されます。また、ウィーンの高品質ブランドの製品を販売するショールームや、雑貨やホットワインが並べられたクリスマス市など、本場さながらの雰囲気が味わえます。

この冬は日比谷でウィーンを感じてみてはいかがでしょう? 詳しくはこちら

(写真は今年のウィーンのクリスマス市)

N.M.

2010年10月21日木曜日

日独交流150周年 オープニング!

1860年秋にプロイセン(現・ドイツ)の東方アジア遠征団が江戸(現・東京)に到着。翌61年に両国は修好通商条約を結び、外交関係を樹立しました。その150周年にあたる2011年に向け、日独両国は様々な記念行事を行なうことで合意、そのオープニングセレモニーが2010年10月16日、東京横浜独逸学園で行なわれました。


会場は、コルネリア・ピーパー独外務国務大臣やフォルカー・シュタンツェル大使、日本の外務副大臣、横浜市長と豪華なゲストにも関わらず、堅苦しくなく終始和やかな雰囲気。様々な展示やスポーツのプログラムを見てまわった一団は、そのまま一般ゲストが行き交うテントの席でビールを飲み、ヴルストを食べていました。



また、当日は見事な晴天で、日差しにあたっていると何もしなくとも汗ばむほど。そうでなくとも美味しいビールがさらに美味しく感じられました。


そして定期的に流れる ♪ ein Prosit~♪ の歌声とPop Musik♪
気づけば、皆さんもよくご存知のお二人が、バンドの前を陣取り、大勢の注目を浴びて踊っていました!そうそう、おなじみのマウスも。子どもたちに大人気でした♪


これから約1年間にわたって、いろいろなところで様々なドイツ関連の行事が催される予定です。沢山足を運んで、ドイツを感じましょう。




日独交流150周年のイベント情報はこちら


N.M

2010年9月30日木曜日

研究休暇2009~2010 ミュンヘンにて。

 研究休暇は日本の大学教員生活におけるクライマックスです。一年間、自由に学術的活動ができるのです。その際に、滞在場所(日本もしくは他国)と研究テーマを自身で選ぶことができます。私は昨年の研究休暇を私にとって新しい音楽学的研究分野に充てることを決めました。詳しく言うと、漂泊の観点からみたドイツロマン派歌曲の研究です。“wandern”(放浪する・歩き回る・漂泊する・遍歴する)という言葉は1800年頃“reisen”(旅をする)の同義語として使われましたが、それは徒歩旅行が中心になっていました。すでに昔から、社会的下位集団や周辺集団が徒歩で旅をしていましたが、1770年以降には市民階級や学生の間でも徒歩旅行が流行しました。このような旅行の方法はドイツ社会にしっかりと定着し、文学や芸術や音楽における重要なテーマともなりました。

私の研究は、漂泊の社会史的、文学的議論を取り入れて、ドイツの歌曲における漂泊という現象と取り組み、まとめることになります。その際に、しばしば「さすらいの歌」として表現される楽曲については、シューベルトやメンデルスゾーン・バルトルディやシューマンのようなロマン派の有名な作曲家の作品のみならず、これらの巨匠たちの、今日において多かれ少なかれ忘れられている同時代人たちの作品も考慮されます。あまり知られていない作曲家たちの作品は、今日では楽譜は市場でほとんど手に入らないので、19世紀の印刷や、部分的に手書きによってのみ伝えられている作品を収集するのには公文書館や図書館における大規模な調査が必要不可欠でした。このような図書館作業が伴うので、私は研究地としてミュンヘンを選びました。当地のバイエルン州立図書館は、プロイセン文化財団ベルリン国立図書館と並んで膨大な音楽文献を所蔵しているからです。事実、私はそこで必要不可欠な文献の大部分を探し出すことができました。しかし、不足分を補うためには、ドイツ国内やパリ、ウィーンへのさらなる図書館巡りが必要でした。私の研究のさらなる発展の為にも、文献は研究基盤なのです。したがって、私は手始めに、社会史的観点から漂泊を論ずる中で、1800年頃の旅行報告を引き合いに出します。それに加えて芸術歌曲との比較として民衆的なさすらいの歌を調査に取り入れることになります。この両分野に関してもバイエルン州立図書館はメッセージ豊かな文献を所蔵していますが、これに関しても他の図書館や公文書館の蔵書で補う必要がありました。

 私が客員研究員として招かれていたミュンヘン大学の音楽学研究所が、さらなる研究の場を提供してくれました。そこでもハルムート・シック教授と彼の共同研究者と学生とともに、研究に役立つ活発な学術的な交流ができました。


キルステン・バイスヴェンガー


(訳:T.T)

2010年9月1日水曜日

夏の夜の美術館

毎年恒例の家族旅行で横須賀方面に行ったついでに、横須賀美術館に行って来ました。8月29日で終わってしまったのですが、イタリアのブルーノ・ムナーリ (1907-1998)の展覧会が開かれていました。ムナーリはプロダクトデザイン、グラフィックデザイン、絵本の制作、子どものための造形教育など多岐にわたる分野で活躍した人で、日本でも大変人気です。

美術館に寄ったのはもう夕暮れ時だったのですが、ちょうどキノ・イグルー(Kino Iglu)というシネクラブが企画した野外シネマの準備中でした。のんびりした夏の夜に、海に面した斜面の芝生に大きなスクリーンが準備されていて、いかにも楽しそう。誰でも自由参加だったので、見て帰ることにしました。バスにのった屋台も出ていて、自然食品のピザやスープが売られています。沢山の親子連れや様々なグループがいて、各々芝生に陣取って好きずきにやっていました。 
上映されたのはフランスのアルベール・ラモリス監督の『赤い風船』(1956 年)。少年パスカルと赤い風船の友情?!を描いたほとんど台詞のない短編映画です。少年パスカルと赤い風船が主人公のちょっと幻想的な作品で、最後に少年が沢山の色とりどりの風船に引っ張ってもらってパリの上空を飛んでいる映像をご存知の方もあるかもしれません。1956年、まだCGもない頃に、どうやってこれらの映像が撮影されたのか、未だにその秘密は明かされていないそうです。

 
 ヨーロッパでは夏の夜にこのような催し物が数多くありますが、何しろ横須賀美術館は庭の真向かいに海が見える絶好のロケーション!スクリーンに映し出されたパリの町並みの奥に夜の海が透かして見えて、夜風もさわやか。来年も同じ時期に野外シネマを企画しているそうです。みなさんも機会があれば、ぜひ夏の終わりを美術館で楽しんでみて下さい。

A. A





























 

2010年8月11日水曜日

「第14回高校生のためのドイツ語入門講座」

 去る7月26日(月)から30日(金)の5日間、天野貞祐記念館のICZを会場として、「第14回高校生のためのドイツ語入門講座」が開催されました。今年も30名を超える高校生が参加、「はじめてクラス」(まったくの初心者のためのクラス)、「一歩進んだクラス」(ドイツ語を勉強して3ヵ月程度の人のためのクラス)、「さらに一歩進んだクラス」(1年以上ドイツ語を勉強している人たちのクラス)の3クラス編成で、基本的な挨拶、自己紹介、家族紹介などの表現を学中心にびました。
 最初はとてもおとなしかった高校生たちですが、2日目の山本先生の模擬講義「ドイツのポップス」あたりから徐々に本領発揮 ! テンションが上がって来ました。ドイツにおけるポップスの歴史を、各時代の社会的・文化的背景などとの関連で講義する山本先生⇓

 今年4月からドイツ語学科のメンバーとなったシャルロート先生は、お得意のコンピュータで作った教材を駆使しながら、とても楽しくアクティヴな授業を展開してくださいました。いかがです ? 気合が入っていますね⇓
 中日の水曜日は、高校生講座の定番、「フルーツバスケット」で幕開けです(もちろん、ドイツ語でやりました)。そして、フルーツバスケットと言えば、能登先生 ! ルールの説明もお手の物です⇓

 やはり、高校生は若い ! 朝からよく動きました⇓ 今回デビューの吉田先生、昨年に引き続き参加してくださった大平先生も若い !! 高校生に負けずに走り回っていました。

 一汗かいて授業を終えた後は、有志で(といっても、ほとんど全員でしたが)学食を体験しました。運動して、勉強した後はカレーライス ??? カレーを食べている人が多かったように思います⇓

 講座後半最初の授業は、学科長・矢羽々先生の模擬講義「グリム・メルヒェンの奥深さ ~『白雪姫』を中心に~」でした。『白雪姫』のテキストを読みながら、メルヒェンというジャンルの特性や日本における受容の問題にまで話は展開して行きました⇓

 そして、高校生講座最終日のパーティーでは、これまた恒例のビンゴ大会。ブレーツェル (8の字形をした塩味のパン)やグミ、ケーキなどを食べながら、豪華賞品ゲットを目指して熱い戦いが繰り広げられました ! 3度、4度とビンゴする人も続出⇓

 パーティーの締めくくりは、ヒョ~ショ~ジョ~ではなく、受講証の授与式。シャルロート先生から、一人ひとり手渡しで受講証が授与されました⇓ 高校生たちは、この5日間を振り返りながら感無量の表情 ?!

 ということで、今回の講座も無事終了しました。最後に、参加してくれた高校生のみなさんにあらためてお礼を言いたいと思います。ありがとう !!! 秋学期には、フォトギャラリーでもっといろいろな写真を紹介します。ご期待ください。

2010年6月29日火曜日

~DAAD(ドイツ学術交流会)所長フィンケン氏講演会 報告~

講演中のフィンケン所長

 6月23日(水)に、DAAD(ドイツ学術交流会)のホルガー・フィンケン所長が「ドイツの大学の魅力」というテーマで講演をしてくださいました。参加学生は200名ほど、教員も多数参加していました。ホルガー所長には、ドイツの大学の魅力をパワーポイントを使いながら説明していただき、特に「エクセレンス・ユニヴァーシティー」というドイツの新たな取り組みが紹介に中心に置かれていました。
 続いて同じDAADの大山美由紀さんが、ドイツ留学の実際的な準備などについて説明がありました。盛んな質疑応答からもわかるように、これからドイツで学ぼうとする学生にとって、興味深い内容でした。

Deutsche Eckeで学生と

 講演に先立って、フィンケン所長と梶山学長および柿沼学部長との昼食会があり、今後の協力関係について話し合われました。また、講演の後も、ICZ(InternationalCommunication Zone)にあるDeutscheEckeを見学、学生と話をしたり、獨協ギャラリーの見学、さらには国際交流センターを訪問して、原センター長と懇談したりと、積極的に獨協を知ろうとなさっていました。

国際交流センターにて、原センター長(前左)と。
後ろは左からDAADのヘックマンさんと大山さん、Werner教授、
矢羽々、山本教授。


T.Y.

ドイツ語学科HPのフォトギャラリーから講演会の様子の写真を見ることができます。

2010年6月24日木曜日

授業紹介: German Studies in English (英語I)

ドイツ語学科の学生は4年間の 大学生活の中で集中的に学ぶ言語はもちろんドイツ語ですが、英語も学びます。英語はゲルマン系の言語ですので、ドイツ語と同時に学ぶと両言語の共通点と相 違点を見ることができ、興味深くて楽しいです。それに、卒業後就職する際にバイリンガルであることは有利ですが、トライリンガルであればさらに有利になり ます。

英語能力を伸ばすのに、全学共 通カリキュラムの中の英語リーディングや英語リスニングといった科目をとりますが、2010年からドイツ語学科の学生の みが受けられる「German Studies in English (英語I)」という科目が新設されました。この授業の一つの目的は英語能力の向上ですが、もう一つの目 的はドイツ語圏についての知識を身につけることです。この二つの目的を達するために、ドイツ語圏の国々の様々なテーマ(文化、社会、芸術など)について英 語で学びます。雑誌や新聞の記事を読んだりドイツ国営放送のドイチェ・ヴェレのニュース番組を見たりすることを通して、英語のリーディング・リス ニング能力を伸ばしながら、ドイツ語圏について学びます。そして、学生同士のディスカッション及び学生によるポスターセッションと発表をすることによっ て、スピーキング能力も磨きます。先日春学期の第一回目のポスターセッションが行われ、学生は3,4人のグループで調べたテーマについてポスターを作り、 積極的に英語で発表しました(写真)。

ドイツ語圏について英語で学ぶ とドイツ語と英語が頭の中で混ざって、混乱すると思われるかもしれませんが、それほど心配は要りません。ドイツ語圏についての知識向上、英語力の向上を同 時にしたい、つまり一石二鳥を狙いたい学生は是非German Studies in Englishを受講してください!

MC


2010年6月18日金曜日

シャルロート先生にインタビュー

―まずお名前をお願いします。
「ヨアヒム・シャルロート(Joachim Scharloth)です。」

―失礼でなければお歳を聞いてもいいですか?
「38歳です。秘密ですよ。(笑)」

―出身はどこですか?

「ドイツです。しかし、スイスやオーストリアなどにも住んでいました。」

―ご家族は?
「妻と娘が一人で、猫はいません。(笑)妻と娘はとても猫が好きなんですけどね、僕が猫アレルギーを持っているので。」

―それは残念ですね。それでは次に、趣味はなんでしょうか?
「クラリネットを吹くことや、サイクリングですかね。あと、パソコンのプログラムを作ったりもします。」

―娘さんとは遊ばれないのですか?
「もちろん可愛い娘と毎日5時間くらい遊びますよ。(笑)まぁ5時間というのは冗談ですけど、日によって違いますが娘とはたくさん遊びます。僕が変な顔をすると、娘はとっても喜ぶんですよ。」

―娘さんが大好きなんですね。ところで日本語がお上手ですが、どこで勉強なさったのですか?
「いや、そんなに上手くはありません。(苦笑)日本語はドイツにいる時に独学しました。いつ日本語を本当に学ぶのですか、という質問の方が良いのではないですか?(笑)」

―いやいや(笑)ちなみに日本語で好きな言葉はありますか?
「なんだろう・・・。『なるほど』かなぁ?」

―深いですね。ところで、最近興味があることはありますか?
「なるほど。(笑)難しい質問だなぁ。社会音声学ですかね。あとはコーパス言語学かな。」

―専門分野はなんでしょうか?
「社会言語学と歴史、文化社会学ですね。」

―今受け持っている授業はなんですか?
「二年生の総合、会話、中級ドイツ語リーディングとドイツ語講読(社会)、ドイツ歴史文化研究と演習になります。」

―簡単に今までの経歴を教えてください。
「大学へ入る前に、兵役の代わりに1年間病院で働きました。その後マインツ大学に入学し、ハイデルベルク大学で博士号を取っています。卒業後はチューリッヒ大学、フライブルク大学で教授として勤務していました。ちなみに、教授資格申請論文はチューリッヒ大学で書きました。」

―なぜ日本へ、獨協大学へ来られたのですか?

「もちろん日本、東京が好きだからです。日本の大学のシステムもとても気に入っていますし、獨協大学はドイツ語教育に力を入れていますからね。」

―日本のどんなところが好きですか?
「満員電車かな。ご近所付き合いも楽しいですよ。あと梅雨が好きですね。(笑)実は僕はまだ梅雨という時期を経験したことがないので楽しみです。」

―梅雨ですか(笑)なかなか興味深いですね。それでは、獨協大学のどんなところが好きですか?
「きちんと整備運営されているし、ドイツ語教育の長い歴史があるのが良いですね。ドイツ語学科の規模が大きく、優秀な同僚に恵まれているのも嬉しいですね。」

―ちなみに獨協生はどうでしょう?
「日本人の学生はとても受身だと言われていますけど、全く違いましたね。とても積極的で嬉しく思っています。」

―ありがとうございます。それでは獨協大学を色に例えるなら何色でしょう?
「おもしろい質問だね。うーん・・・。洋服に例えてもいいかな?」

―もちろんいいですよ。
「それじゃあ、あたたかいコートですかね。」

―それはまたなぜでしょう?
「教育の環境がきちんと整っているのが、あたたかく守られている感じと似ているからかなぁ。」

―これもまた深いですね。それでは次の質問です。今までに様々な国に住んでいらしたとおっしゃっておられましたが、それぞれの国の教育や学生のモチベーションといったものに違いはありましたか?
「違いはなかったと思います。本来そのような違いはあるべきではないと考えているので。しかし、もしあるとするならば、それは個人個人のモチベーションが影響していると思います。何にしても学問というものは、自分から積極的に学ばなければ何も起きないと思いますから。」

―肝に銘じておきます(苦笑)では次に、今後の目標などがありましたらお聞かせください。
「きちんとした、綺麗な日本語を話せるようになりたいです。あとは、学生がきちんとした綺麗なドイツ語を話せるようになってくれることかな。」

―頑張ってください!それでは最後に何か一言お願いします。

「キャンパスで見かけたら声をかけてください。どうぞよろしくお願いします!」

(インタビュー&和訳:本学科ドイツ語既習クラス2年生)

他人の人生―パトリック・ハインリヒの今。


 他の人と同じように、パトリック・ハインリヒはさまざまな側面を持つ人間です。幸いにもパトリック・ハインリヒに関するこのブログの記事は自分で書くので、彼はここで口を極めて褒めちぎられるしかなく、良からぬ側面は公表されません。ここまではこれでいいとしましょう。

 ところで、私はプファルツ出身で、それも良いことであります。とりわけ、プファルツのお陰で私は、方言を喋れるという恩恵を被っています。方言はいつでも良いものです。それに私は若いころから多言語を用いています。私の母はフランス人で、彼女は今アメリカに住んでいます。私の父はドイツ人で、今はフランスに住んでいます。私の姉妹はアメリカ人で、私の妻はイタリア人、そして私の息子は日本人です。私の親友は沖縄の人《うちなーんちゅ》。私の甥はメキシコ人。皆さんが信じようが信じまいが、これはすべて真実なのです。私たちはグローバルな世界に暮らし、それは特に私に当てはまるのです。

 国際化やグローバル化が言語にどのように作用するかということは、研究者たる私の大きな関心事です。私はとても秩序を愛する人間ですから、その点で特に言語の改革に興味があります。私はこのテーマについてすでにずっと以前から取り組んでいるので、私は皆さんに言語の未来について少しだけならこっそり教えることもできます。未来には言語的なことに関してはより無秩序になるでしょうが、しかし“無秩序”は秩序の特殊な形にすぎないのです。無秩序の中に秩序を認めてしまうと、それはまったく“無秩序”ではないように思われます。私の研究において、そして私の人生においての共通の座右の銘は、“Everything you know is wrong”であります。言い換えれば、何事からも常に新たなパースペクティブを得ることができるのです。私はこのことを常に仕事の中で、そして私の生活の中で実行に移すことを心掛けています。定まった確かな事柄ばかりに囲まれているわけではないことは、とても元気が出ることだと私は思います。すべてが素晴らしく聴こえるでしょう?考えてもみてください、これは全て、パトリック・ハインリヒが書いたことなんです。皆さんが知っていることは全て、間違っている可能性があるということを忘れないで頂きたい。でもそれは正しいという可能性もあるのです。

 そうそう、私の趣味はマラソン、読書、ビールを飲むこと、そしてカラオケを歌うことかな?逆に、満員電車は大嫌いですし(日本)、ザウアークラウト(ドイツ)も嫌いです。それはそうと、皆さんは私の同僚であるシャルロート氏をもう御存知でしょうか?

(和訳:T.T) 

2010年6月4日金曜日

ニュース紹介「受難劇にも不況の波」

German passion play hit by recession

ひょんなことから、この夏、オーバーアマガウで十年に一度に上演されている受難劇 [Passionsspiele, passion play] を見に行くことになりました。BBCニュースによると、世界の経済危機の影響が受難劇にも及んでいるそうです。十年前は主に北米とイギリスから50万人もの人が訪れていたのに、今年は不況でチケットの売り上げが20パーセントほど落ちており、将来的には中国、インド、ブラジルなどから観客を集めようと、劇も観客の多様化に合わせて書きかえられているそうです。劇は人口5千人の村のおよそ半数の住民によって演じられています。今年は初めてトルコ系の住民も舞台に参加しているそうです。

つい最近までこの劇について全く知りませんでしたが、私の周りだけでも三人ほどの日本人が行くので、日本人の割合も意外と高いのかもしれませんね。詳しくはHPをどうぞ。(日本語で検索すると、ツアーのサイトが出てきます。)


M.T.

2010年5月2日日曜日

タマラ・ド・レンピッカ展

 美術のゼミ(担当:青山)では、ゼミ生が現在東京ならびに近県で開催中の展覧会に足を運び、その内容紹介を授業の冒頭ですることにしています。既に2010年度のゼミが始まって四回ほどたちましたが、一人の学生さんが2010年5月9日(日)まで渋谷のBunkamuraで開催中のポーランド出身の女流画家タマラ・ド・レンピッカ展を紹介してくれました。世界中の個人コレクションや美術館に散らばっているレンピッカの作品が一同に介した興味深い展覧会なので、改めてここで簡単にご紹介したいと思います。
 ポーランドの富裕な家庭に生まれたタマラ・ド・レンピッカ(1898-1980年)(写真左)は、ロシア革命を機にパリに亡命し、そこで1920年代から30年代にかけて華やかな社交界を舞台に活躍したアール・デコの画家です。今回の展覧会ではその卓抜した肖像画家としての技量、写真が新しいメディアとなった時代に自らモデルもつとめた写真の数々、今でいうところの女性のファッション誌のカバーを描いた作品、鬱病を煩ってから描いた宗教的な主題の作品から、晩年ヨーロッパから移った新大陸で描いた静物画まで、幅広い時代の代表作を網羅的に見ることができます。

 ここで最も会場で印象に残った作品を一点だけご紹介しましょう。それは下に見られる、1927年に制作された『赤いチュニカ』(ニューヨーク、キャロライン・ヒルシュ所蔵)という大きな油彩画(73×116cm)です。


レンピッカは当時の流行最先端のファッションを身につけたモダンな女性人物像を数多く描きましたが、その構図や技法の基盤の一つはイタリアの古典絵画にあります。彼女の恋人でもあったと言われるラファエラを描いたこの作品も、構図はヴェネツィア派の巨匠ティツィアーノの1538年の『ウルビーノのヴィーナス像』(ウフィツィ美術館所蔵)以来、ゴヤ、マネ、モディリアーニ等によっても何度も繰り返された、横たわり、観者の方を挑発的に見る女性人物像のポーズの影響が見られます。しかし、ここにはそれまでの男性たちが描いた女性像たちとは異なり、何と堂々とした体躯の生身の女性が描かれていることでしょうか!レンピッカが1920年代に制作した肖像画の特徴として、画面の枠一杯に人物を入れて量塊性とムーヴマンを強調する表現が見られます。この作品でも灰色を基調とした背景から、たった一色、赤をまとった女性の白い肉体が画面から溢れ出してくるような迫力があり、肌の質感、布の質感が過去の巨匠たちと同様見事に描き分けられています。それにしても画家が、自分自身の性である女の肉体を堂々と礼賛している様は圧巻です。
 社交界の花としてのレンピッカが、マルレーネ・ディートリヒ(1901-1992年)のように気取った姿でポーズを取る多くの写真や映像が残されていますが、そうした彼女自身の虚飾に満ちた姿だけではなく、彼女が描いた油彩画のこの女性像の中にも、1920年代を既に真に自由に生きた、才能あふれる女性の力強い自画像が隠されているような気がします。この迫力には同性としてあっぱれ!と拍手を送りたくなりました。

A. A

2010年4月6日火曜日

タッパーの夕べ?!

 W先生の興味深い(!)韓国旅行に加えて、新入生のみなさんにドイツを身近に感じて頂くために、ドイツの台所用品を紹介しようと思いつきました。
 私は2002年の夏から2005年の3月まで獨協大学の提携大学がある、マールブルクという町に滞在しました。最も古いプロテスタントの大学を持つこの町はドイツの初期ゴシック建築を代表するエリザベート教会(1235年着工)や、グリム童話を編纂したグリム兄弟がサヴィーニー教授の元で法学を学んだ町としても有名であり、岩倉使節団(1871-73年)もかつてここを訪れた記録があります。
 当時マールブルクの地元の幼稚園と小学校に通っていた娘たちのお陰で、ドイツ人の同世代のいいママ友達が沢山できました。その交流を通じて様々な経験をしましたが、その一つが「タッパーの夕べ」というものです。ドイツは幼稚園や学校の懇談会(Elternabend)は夜開かれます。子供を寝かしつけた8時頃に両親が学校に集まり、子供の近況や様々な問題について話し合われるのですが、このようにドイツは子供を寝かしつけてから様々な「お集り」があります。
 「タッパーの夕べ Tupperabend」もそうした集会の一つなのですが、このタッパーはいわゆる日本でもポピュラーな密閉容器のことです!つまり、個人の家の台所を舞台に、奥さんたちが集まって、台所用品について情報交換をしたり、実際の販売会をするのです。「タッパーの夕べ」にはちょっと「ご夫人たちの井戸端会議」という皮肉めいたニュアンスもあるらしいのですが、実際に参加してみると、これがなかなか有意義なものでした。今回は写真だけでご紹介しますが、この日本では見慣れない機械があっと驚く機能を持っているのです!この機械がどんなことができるかは、次回またご紹介します。

A. A

2009年12月3日木曜日

チョコレートは野菜である


もう10年も前になるでしょうか。夏休みをウィーンの学生寮で過ごしたことがあります。寮は個室で、部屋にトイレ・シャワーはありましたが、冷蔵庫がありませんでした。各階のキッチンに共用の冷蔵庫があって、それにミルク、チーズ、ビールなどを入れておりました。私は料理をしないので、キッチンにはミルクやビールを取りに行っていました。あるとき、キッチンの壁に貼ってある紙片が目に留まりました。読んでみると、寮生のだれかが走り書きしたお遊びの詩のようなものでした。
私はこれは面白いと思って、部屋から紙とボールペンを取ってきて写し取りました。ウィーンの学生のユーモアと知性が感じられる気がしたのです。
日本に帰ってから、その年の担当授業で学生諸君に紹介しました。憶えている卒業生は少ないかもしれません。
せっかく写し取った努力をそのままに、捨て去るのも惜しい気がして、ここに紹介させていただきます。(K.H.)


チョコレートは野菜である。

Schokolade ist ein Gemüse.

Schokolade wird aus Bohnen des Kakaostrauchs gewonnen.
Bohnen sind Gemüse.
Zucker wird aus Zuckerrüben gewonnen.
Beides gehört in die Kategorie Gemüse.
Also ist Schokolade ein Gemüse.

Um einen Schritt weiterzugehen:
Schokoladenriegeln enthalten auch Milch.
Also Schokoladenriegel gut für Gesundheit.

Rosinen, Kirschen, Orangenschalen und Erdbeeren,
Umfüllt von Schokolade, zählen zu den Früchten.
Also esst davon soviel ihr Lust habt.
Schokolade ist gut gegen Stress.
Bedenkt: Stressed umgekehrt gelesen heißt Desserts.


チョコレートは野菜である。

チョコレートはカカオの豆からつくられる。
豆は野菜である。
砂糖は砂糖大根からつくられる。
どちらも野菜の範疇にはいる。
したがってチョコレートは野菜なのである。

もう一歩進めるなら:
チョコレート菓子にはミルクも含まれる。
したがってチョコレート菓子は健康に良いのである。

干しブドー、サクランボ、オレンジのピール、それにイチゴ、
こうしたチョコレートに包まれているものは、果物である。
だから諸君、こうしたものは、気の向くままに好きなだけ食べたまえ。

チョコレートはストレスに良いのである。
考えてもみたまえ、S t r e s s e d(ストレスに悩む)を逆にして読めば、
D e s s e r t s(デザート)ではないか。


2009年11月7日土曜日

Dr. Prinz-Besuch

Am 28. Oktober 2009 besuchte auf Einladung der Abteilung fuer deutsche Sprache und Kultur die Gesandtin und Staendige Vertreterin der Bundesrepublik Deutschland in Japan, Frau Dr. Anna Prinz, die Dokkyo Universitaet und zeigte vor fast 300 Studierenden einen Film ueber den Fall der Berliner Mauer vor 20 Jahren und hielt einen Vortrag mit dem Thema "Warum Deutschland?" mit anschliessender Frage- und Antwort-Session.




Frau Dr. Prinz nahm danach mit einem an die Würdenträger des Dokkyo Dachverbandes und der Universität gerichteten Grußwortan der 45sten Gründungsfeier der Dokkyo Universität teil, wobei sie die bis 1883 zurückreichenden Beziehungen der Dokkyo akademischen Institutionen zu Deutschland und zur deutschen Sprache und Kultur hervorhob.

H.G

2009年8月19日水曜日

クラウスの熱い夏

 ミナサン、コンニチハ。クラウス デス。
 オヒサシブリ デス。 アツイナー、アツイ!!

 もう暑い夏も、残暑のお見舞いですね。でも、ドイツの今年は熱い夏です。ベルリーンの壁が崩壊して20年。あの頃、ボクの飼い主がちょうど夏に一家でドイツへ出かけた一年目だったのです。  


 これは1990年冬の写真ですが、こうしてベルリーンのブランデンブルク門の界隈で、壁の破片や撤退したソビエト軍の将校の軍帽、そしてなんと東ドイツの国旗までもが売られていたのです。

 でも20年も過ぎるのは速いですね、ボクの飼い主は当時3?歳でしたが、いまおなかの出具合などを見ると、ずいぶん変わったものだといわざるを得ません。

                                (クラウス14歳の夏)

2009年7月29日水曜日

続 ピナ・バウシュ

先日の山本淳先生のピナ・バウシュの記事を読んで、共感された方、改めてピナ・バウシュの舞台を見たいと思った方など、たくさんいらっしゃるのではないでしょうか。

そこで、スペイン映画の「トーク・トゥ・ハー」。
この冒頭にピナ・バウシュの代表作「カフェ・ミュラー」の一部が挿入されていますのでご紹介しましょう。