2010年5月29日土曜日

続『戦争の彼方』

以前ご紹介した『戦争の彼方』、好評につき9月に再上映されることとなりました。

しかも、ルーツ・ベッカーマン監督の処女長編『ウィーンへ帰還(WIEN RETOUR)』とともに!

日時:2010年9月11日(土)
    14:30~『戦争の彼方』、18:00~『ウィーンへの帰還』
チケット:各上映800円
場所:川崎市国際交流センターホール(264席)
(東急東横線・東急目黒線「元住吉駅」下車徒歩10~12分)


~~『ウィーンへの帰還』~~
オーストリア映画
1983年カラー・89分・ドイツ語(日本語字幕)
監督:ルーツ・ベッカーマン
制作:ルーツ・ベッカーマンプロダクション
日本語字幕:ヨハンナ比較文化研究所

あらすじ:1909年生まれのユダヤ人少年フランツは1924年、一家と共に親戚をたよってドイツからウィーンに移り住みます。ユダヤ人の多く住むウィーン2区で、彼は家族に囲まれてのびのびと暮らし、大学に進学し、ドナウ川で泳ぎ、恋をします。一方、時代は確実にファシズムへと向かっていきました。オーストリア併合に抵抗する学生や労働者、ユダヤ人弾圧で離散する家族・・・。
この映画は1924年から1934年までのウィーンの様子をフランツ少年の目線で描いています。当時の珍しいフィルムも多数使われており、戦前のウィーンの様子などを見ることができます。
(HPより)

詳しくはこちら

P.S.コメント、ありがとうございました!
N.M.

2010年5月21日金曜日

ドイツのコメディ映画~"Der Schuh des Manitu"~

ドイツ映画は世界大戦が舞台の映画やヒューマン・ドラマが多いと思われることも少なくないようですが、今回ご紹介するのはドイツの西部劇コメディ映画 "Der Schuh des Manitu" (独題:マニトの靴 邦題:荒野のマニト)です。
ドイツで2001年に公開されたこの映画は当時、ドイツ映画史上最高の興行成績約80億円を記録、初日動員数歴代第1位を樹立し、 公開中に約1,200万人の観客を動員し大ヒットした作品です。
しかし日本では短期間の単館上映でしたので、見に行く機会を逃した方も多いと思います。日本のコメディとはまた一味違うドイツ風コメディを、監督・製作・脚本・主演+もう一役をこなしたミヒャエル・ブリー・ヘルビヒがこの映画に詰め込みました。 ドイツ語のDialekt(方言:この映画ではバイエルン地方の方言が飛び交っています)や言葉遊びやWitz(冗談・しゃれ・ジョーク)を楽しんでみましょう。

あらすじ:  カウボーイのレインジャーと“血の兄弟”の契りを交わしたアパッチ族の酋長アバハチは、ショショーニ族から金を借り、不動産業者のサンタ・マリアから一族の憩いの場にと酒場を購入する。しかしサンタ・マリアの正体は実は詐欺師で、手に入れたはずの酒場も“偽物”。騙されたアバハチは銃撃戦の末、結局サンタ・マリアに金を持ち逃げされてしまう。ショショーニ族に借金を返済するためにアバハチとレインジャーは、アバハチの祖父が遺した宝“マニトの靴”を探しに行くが…。 その過程で加わる一癖も二癖もある仲間達の活躍も必見!

?ドイツなのになぜ西部劇?

ドイツ人がなぜウエスタン・カントリーのコメディ映画を作るのだろうと思われるかもしれません。

しかしドイツの人たちにとって西部劇の冒険譚は実は身近なものなのです。
それは カール・マイ(Karl Friedrich May, 1842-1912)というドイツの小説家がアメリカ西部を舞台にネイティブ・アメリカンを主人公とした多くの冒険小説を発表し、人気を博したからです。 『ヴィネトゥの冒険 -アパッチの若き勇者』(原題: "Winnetou"1893)をはじめ、カール・マイが書いた作品の多くは今日にいたるまでドイツ青少年の愛読書となり、多数映画化もされています。
たとえば『ヴィネトゥの冒険』の内容は
“アメリカ西部を舞台に、アパッチ族の若き酋長ヴィネトゥと、ドイツから渡ってきた勇敢な青年技師シャッターハンドが互いに義兄弟として結ばれ、正義の実現のために邁進し、悪漢ザンターに立ち向かうシリアスな冒険小説”――そう、今回ご紹介した"Der Schuh des Manitu" は、このカール・マイの小説から多くのヒントを得たもので、ドイツ国民にとってはすでに馴染みの設定なのです。
カール・マイの作品を読んでから"Der Schuh des Manitu"を観ると、劇中のところどころにマイの作品のパロディが見られるので面白さも倍増のはず。"Der Schuh des Manitu" には写真のマイにそっくりの飲んだくれおじさんも登場しますが、果たしてそれは…?


『ヴィネトゥの冒険』をはじめカール・マイの作品は本学図書館にも置いてあります。
ドイツ発、ウェスタン・ロマンの世界へようこそ・・・!


2010年5月7日金曜日

〜日比谷オクトーバーフェスト2010のご案内〜

前回はワインのお祭りを紹介しましたが‥
今度はドイツ最大のビール祭り、オクトーバーフェストが5月、東京の日比谷にやってきます!

OKTOBERFEST 2010(日比谷)
◆開催期間2010年5月21日(金)〜5月30日(日)
月~土12:00~21:30 11:00~21:00(※21日のみ17:00オープン)
◆会場:日比谷公園 噴水広場
◆入場料:無料(ただし飲食は有料)

日比谷オクトーバーフェスト2010日本公式サイト

数種類のドイツビールやドイツソーセージ、ドイツの軽食が楽しめます。
日に数回、南ドイツの楽団の演奏もあるそうです。
「乾杯の歌を覚えて会場に行けば楽しさも倍増のはず!

♪ドイツのオクトーバーフェストってどんなお祭り?♪
本場ドイツでは
毎年秋にミュンヘンで開催されている、世界最大のビール祭りオクトーバーフェスト。
ミュンヘン市内の6つの醸造会社が14のビールテントを出し、来場客はその中でビール片手に陽気に歌って踊ってお喋りをして‥‥。南ドイツの民俗衣装Dirndl(きっちりとした胴衣とゆるやかなギャザースカートからなるバイエルンやオーストリアの女性の民俗衣装)を着た売り子さんが両手一杯にビールジョッキを持ってそれを器用に運ぶ光景も見物です。
東京ドーム9個分もの広大な会場には、ビールテント以外にも小さな屋台や移動遊園地が並び、大人から子供まで丸一日楽しめる大きなお祭りです。以前は朝から晩まで流れっぱなしだった会場の音楽も、2005年からは“高齢者や家族連れも楽しめるように”と午後6時までは伝統的な吹奏楽演奏等の静かな音楽のみが流され、その音量は85デジベル以下と定められています。午後6時を過ぎると、Schlagerと呼ばれるドイツのヒットソングや流行のポップミュージック、懐メロ等が賑やかに流れ、ビールテントの中はより盛り上がります。

本場のお祭りの来場者は毎年なんと650万人。開催期間中600万杯以上のビールが飲まれ、30万本以上のソーセージが消費されるそうです。1810年から続いていて今年200周年を迎える、歴史あるお祭りでもあります。こうなるとやはりビールやソーセージは世界に誇れる代表すべきドイツ文化ですね。
本国ドイツでは今年は9月18日〜10月3日に開催されます。

まずは日本で体験、Prost(乾杯)!



本場ミュンヘンのオクトーバーフェストはこんな雰囲気です。

"EU Film Days 2010"〜ドイツ映画を観てみよう〜


2010年5月28日–6月20日に東京国立近代美術館フィルムセンターにて"EU Film Days 2010" が開催されます。


EU加盟国27カ国中22カ国の映画作品が期間中に上映され、普段はなかなか触れる機会のない様々なヨーロッパ文化やヨーロッパの生活を、作品を通して垣間みることができます。

ドイツ映画は、第58回ベルリン国際映画祭に出品された「HANAMI」が上映されます。
上映日程は下記の通りです。

『HANAMI』(独題:"Kirschblüten")
2008年製作ドイツ映画、126分、ドイツ語(日本語・英語字幕付)監督:ドリス・デリエ
内容:
ドイツを代表する女性監督デリエが、小津安二郎監督の『東京物語』から着想を得て撮った作品。妻を亡くした初老のドイツ人男性が桜の季節の日本を訪れ、ひとりの少女と出会って魂を救済される。

場所:東京国立近代美術館フィルムセンター
6月2日(水)  15:00
6月13日(日) 13:00

入場料: 500円(一般)/ 300円(高校・大学生・シニア)/ 100円(小・中学生)
キャンパスメンバーズは無料★
(獨協大生は学生証を提示してキャンパスメンバーズであることを伝えましょう。無料で鑑賞できます。)

ドイツ本国で高く評価された、静かな感動を得られる作品です。
ドイツと日本の文化や感性の交差点を鑑賞してみましょう。

映画祭のHPでは各参加国の作品の詳細と上映日程を確認することができます。

映画のHP(ドイツ語):「HANAMI」(独題:"Kirschblüten")
映画祭HP(日本語) :"EU Film Days 2010"

2010年5月2日日曜日

タマラ・ド・レンピッカ展

 美術のゼミ(担当:青山)では、ゼミ生が現在東京ならびに近県で開催中の展覧会に足を運び、その内容紹介を授業の冒頭ですることにしています。既に2010年度のゼミが始まって四回ほどたちましたが、一人の学生さんが2010年5月9日(日)まで渋谷のBunkamuraで開催中のポーランド出身の女流画家タマラ・ド・レンピッカ展を紹介してくれました。世界中の個人コレクションや美術館に散らばっているレンピッカの作品が一同に介した興味深い展覧会なので、改めてここで簡単にご紹介したいと思います。
 ポーランドの富裕な家庭に生まれたタマラ・ド・レンピッカ(1898-1980年)(写真左)は、ロシア革命を機にパリに亡命し、そこで1920年代から30年代にかけて華やかな社交界を舞台に活躍したアール・デコの画家です。今回の展覧会ではその卓抜した肖像画家としての技量、写真が新しいメディアとなった時代に自らモデルもつとめた写真の数々、今でいうところの女性のファッション誌のカバーを描いた作品、鬱病を煩ってから描いた宗教的な主題の作品から、晩年ヨーロッパから移った新大陸で描いた静物画まで、幅広い時代の代表作を網羅的に見ることができます。

 ここで最も会場で印象に残った作品を一点だけご紹介しましょう。それは下に見られる、1927年に制作された『赤いチュニカ』(ニューヨーク、キャロライン・ヒルシュ所蔵)という大きな油彩画(73×116cm)です。


レンピッカは当時の流行最先端のファッションを身につけたモダンな女性人物像を数多く描きましたが、その構図や技法の基盤の一つはイタリアの古典絵画にあります。彼女の恋人でもあったと言われるラファエラを描いたこの作品も、構図はヴェネツィア派の巨匠ティツィアーノの1538年の『ウルビーノのヴィーナス像』(ウフィツィ美術館所蔵)以来、ゴヤ、マネ、モディリアーニ等によっても何度も繰り返された、横たわり、観者の方を挑発的に見る女性人物像のポーズの影響が見られます。しかし、ここにはそれまでの男性たちが描いた女性像たちとは異なり、何と堂々とした体躯の生身の女性が描かれていることでしょうか!レンピッカが1920年代に制作した肖像画の特徴として、画面の枠一杯に人物を入れて量塊性とムーヴマンを強調する表現が見られます。この作品でも灰色を基調とした背景から、たった一色、赤をまとった女性の白い肉体が画面から溢れ出してくるような迫力があり、肌の質感、布の質感が過去の巨匠たちと同様見事に描き分けられています。それにしても画家が、自分自身の性である女の肉体を堂々と礼賛している様は圧巻です。
 社交界の花としてのレンピッカが、マルレーネ・ディートリヒ(1901-1992年)のように気取った姿でポーズを取る多くの写真や映像が残されていますが、そうした彼女自身の虚飾に満ちた姿だけではなく、彼女が描いた油彩画のこの女性像の中にも、1920年代を既に真に自由に生きた、才能あふれる女性の力強い自画像が隠されているような気がします。この迫力には同性としてあっぱれ!と拍手を送りたくなりました。

A. A